
KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHYは、2026年8月29日(土)より飯沼珠実個展『Salut, Mr Bruno Taut』を開催いたします。 本展は、飯沼珠実による同名写真集『Salut, Mr Bruno Taut』の刊行記念展覧会です。飯沼は、ライプツィヒ/パリ/東京の三都市に活動拠点をおき、建築/写真/出版のメディウムを自身の身体を通して論理的に構築しながら、発表活動を行ってきました。本シリーズでは、建築家ブルーノ・タウトが1920〜30年代にドイツで手がけた「ジードルング(集合住宅)」を被写体に、2010年から2014年にかけてベルリンおよびマクデブルクで撮影された作品を発表します。 飯沼にとってこれらの写真は、タウトに向けて「あなたの建物は、いまこのように住まわれています」と伝える手紙やポストカードのようなものでもあります。撮影場所として選ばれたのは、建物とのあいだに会話が成立する場所。既存のいわゆる「建築写真」から距離を取りながら、タウトに一枚の便りを届けるように撮影された写真は、いわば建築をめぐるスケッチといえるでしょう。スケッチは最初の一度きりのものであり、二度目の描き直しや清書は成立しない—その感覚が、一枚一枚の写真に固有の即時性を与えています。 ベルリンでは曇天の日が多く、撮影はしばしば厚い雲の下で行われました。その結果、空の柔らかな明るさと、建物に施された鮮やかな色彩とのあいだに、心地よいコントラストが生まれています。それらの色彩が、1930年代から現在までこの街に存在していたという事実は、飯沼にとって純粋な驚きであり、高揚でもありました。厳しいベルリンの冬を、鮮やかな色彩によって少しでも元気に乗り越えていこうとしたタウトの意図とも響き合う風景です。 撮影初期には、ポートレート撮影に用いられることの多い中判カメラ「Mamiya RZ67」が使用されていました。飯沼にとって建築は、単なる構造物ではなく、人と等しい存在感を持つ対象として立ち現れていたといいます。一方で、氷点下のベルリンで繰り返されたフィルムの不調や現像トラブルを経て、制作は次第にデジタルへと移行していきました。こうした撮影手法の変化もまた、本シリーズに流れる時間の一部として刻まれています。 本作において、建物と並んで重要な被写体となっているのが、敷地内に植えられた木々です。建物の完成後に植えられ、長い年月を経て成長したそれらの木々は、建築の歴史を語る役者のように、その場に佇んでいます。建物の壁面や樹木、そこに生じた陰影や距離感は、視覚的な情報にとどまらず、見る者の身体感覚にも働きかけます。壁面が集積されたような写真集を読み終えたあと、街に出ると、実際の壁がこちらへ迫ってくるように感じられる—そのような触覚性もまた、本シリーズの特徴のひとつです。 英語とフランス語が混在するタイトル『Salut, Mr Bruno Taut』には、国際色豊かな現代ベルリンで、ドイツのみならずさまざまな背景を持つ人々と、不完全な複数の言語を交えながら会話を重ねてきた、飯沼自身の経験にもとづく言語感覚が反映されています。また、日本とも深い縁を持つドイツの建築家タウトをめぐる本作において、ひとつの言語に統一するのではなく、複数の言語が交差する状態そのものをタイトルに残したいという意図も込められています。 日本への亡命経験を持ち、日本文化への深い関心を抱いていたブルーノ・タウトと、東京に生まれ育ちベルリンへ渡った飯沼。異なる時代と土地を生きた二人の視線は、建築と都市の風景を介して交差していきます。建築や都市の風景に残された時間の層、そのなかで営まれてきた人々の暮らし、そして建物との対話から生まれた一度きりのスケッチ。飯沼珠実の写真を通して立ち上がる、タウトの建築と、時を経てなお息づくベルリンの風景を、ぜひご覧ください。 生まれ育った東京で、2010年代を過ごしたベルリン、ライプツィヒで、また旅先のさまざまな都市で、わたしはこの感覚を頼りに写真を撮ってきた。物質としての建築物は静かで冷たい。しかし時々、どうしようもなく、親しみや愛着、尊敬や憧れにも似たような気持ちが湧き上がることがある。それはそこに潜在する人々の営みの記憶や蓄積された歴史、あるいは歴史にならない小さな物語の数々が、「建築の想像力」となって、わたしたちを創作や思考にかき立てるためだろう。 わたしは建築の写真を撮るとき、三脚を立てることはあまりない。カメラを手に持ち、スナップ写真のように撮る。 壁と天井の結節点たる部屋の角。扉や壁の構成から浮かび上がる、図面にはない幾何学の面。数え切れないほどの足跡が行き来した床。建築物全体を捉えるには心許ない断片にレンズが向かうのは、その断片性が、建築の外に広がる風景を想起させるからだと思う。 わたしにとって建築の断片とは、空間や時間を飛び越えるための「通路」の入り口のようなものだ。その通路は、建築物から歴史や物語へ、現在から過去や未来につながっている。わたしが写真のプリントのみならずアーティストブックを制作するのは、その「通路」にかたちを与えたいという気持ち、そうやって「通路」の先を進んでみる、その冒険の楽しさを他者に伝えたいという気持ちがあるからなのかもしれない。 人間が「住処」に生きるように、建築物はその外に広がる都市や風景という住処に暮らしている―このような住処をめぐる入れ子構造の経験を、わたしは「建築の建築」としてみつめている。それを写真で捉えることができた時、わたしはなにかの「内側」にいると感じ、そこでは実感をもって呼吸をしていることに気が付く。写真行為の痕跡に、自分の建築、住処がたちあがっていくようなのだ。 わたしたちは、誰もがそういう場所を必要としている。わたしは、これからも建築をみつめ、写真を撮り、本をつくり、自分が生きる世界のことを確かめながら、自分の住処を大切にしていきたい。
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