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このたび光灯では、石井亨のキュレーションによるグループ展「GYAKUSAI」を開催いたします。本展には渡邉貴志、端裕人、石井亨の3名が参加します。 3名は東京藝術大学蹴球部で出会い、卒業後はそれぞれ異なる分野で活動を続けてきました。彼らに共通するのは、大学で専門的に学んだ領域に留まることなく、自らの表現を拡張し続けてきた点です。 渡邉は、彫刻科出身でありながら絵画を追求し、端はフォトグラファーとして活動する一方で、陶芸による表現を展開しています。また石井は友禅染の研究と実践を基盤としながら、近年はレリーフや立体作品へと制作領域を広げています。 こうした領域の拡張は、単なる転向や副次的な試みではありません。むしろ、それぞれが長年培ってきた身体感覚や思考を、別の素材や形式を通して探究するための実践であると言えるでしょう。本来の専門領域から距離を取りながらも、その経験を内包したまま新たな表現へ向かう姿勢は、作家たちの創造の根幹に関わっています。 展覧会タイトルの「GYAKUSAI」は、サッカーにおける戦術用語「逆サイド」に由来します。サイドチェンジによって視線や重心が大きく移動し、それまで見えていなかった空間が立ち現れるように、本展では作家たちの実践を「専門の外側」へと展開する運動として捉えています。 本展の出品作品は、それぞれの専門分野とは異なる表現形式によって制作されたものです。しかしそこには、学生時代から現在に至るまで積み重ねられてきた経験や身体性が確かに息づいています。 渡辺の抽象絵画には、フットボールを通じて培われた空間認識や運動感覚が反映され、端の陶作品には生命の痕跡に対する静かな観察が刻まれています。また石井のレリーフ作品は、染色における素材への眼差しを引き継ぎながら、日常的なモチーフを新たな物質性へと変換しています。 光灯の空間では、こうした異なる実践がひとつのフィールドの中に配置されます。作品同士は独立して存在しながらも互いに呼応し、鑑賞者の視線や身体を、絶えず別の方向へと導いていきます。展示空間を巡る行為そのものが、フィールド上でボールが大きく展開されるサイドチェンジのように、新たな関係性や発見を生み出していくでしょう。 本展は、サッカーを題材とした展覧会ではありません。むしろ、異なる領域を横断しながら表現を更新し続ける作家たちの実践を通して、創造行為そのものに潜む移動と変化の可能性を探る試みです。 専門性を獲得した先にある「もうひとつの表現」がどのように立ち上がるのか。その軌跡をぜひ会場でご覧ください。 本展に発表する「On the pitch」シリーズは、フットボールのピッチ上での感覚、思考を助けとして描かれた抽象絵画となります。 ラインを超える、ネットを揺らすなどフットボールのような明確なものではなく、自身でゴールを見出す制作過程においても、空間を把握しポジションをとり、仕掛け、守り、とフットボールで繰り広げられる多くのイメージや思考を絵画表現の助けとして試み、息づいているシリーズとなります。 数日後、車のダッシュボードに置かれたその実から白い糸のようなものが現れ、やがて小さな幼虫が殻に穴を開けて這い出してきた。 生命の気配を失ったように見えた閉ざされた殻の内部で、別の生命は静かに生き続けていた。 その光景は、生と死、内と外、終わりと始まりといった境界について考えるきっかけとなった。 本シリーズでは、生命を宿す殻のような形態を通して、その表面に残された痕跡から内側にある見えない存在へと思考を巡らせている。 暗闇の中で育まれた生命は、その先にどのような光を見るのだろうか。 本展で発表する「DRY WATER」シリーズは、「水なき水」をめぐる視覚表現の探求です。その出発点には、枯山水庭園において白砂利が水の波紋を象徴的に示すという、日本的な抽象化の手法があります。 本シリーズでは、水のうねりや揺らぎ、さらには湿度といった不可視の要素を、染色(ステイニング)技法によって画面に定着させることを試みます。同時に、各作品には清涼飲料水およびコーヒーを用い、その固有性を画面に内包させることで、「水」が内包する場所性や時間性を滲ませます。 絵画画面に現れる視覚は、水なき水の痕跡です。「DRY WATER」は、水の不在を通して水を記憶する試みであり、瞬間性と永遠性を保持する水のかたちです。 本展では「DRY WATER」シリーズに使われる水分に付随して、それらの「水」を保有していた入れ物である空き缶と使用済みの紙コップを、版木から生成する「Woodblock」シリーズを発表します。「Woodblock」シリーズは、「水なき水」をめぐるレリーフ表現の試みです。
館の公式サイトの紹介文を、そのまま載せています。 出典で読む ↗
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