
たった一枚のイメージだけで、音も、時間の前後関係も、物理的な奥行きもない。複製されることにすら極めて敏感である。 しかしそうであるからこそ、描く以外の表現上の加飾となりうるものを一切排除した上で、人間が描いて伝えるということの限界を、最もピュアに映し出すメディアが絵画である。 今回招いた2名の作家はそれぞれモチーフは異なりつつ、両者ともに人間の作為を極限まで省略し、その上で絵の成立条件を鑑賞者に問いかける、イメージの形作るところの最短距離を模索している。 私は両者の仕事は、他でもない前述の特性を持つ絵画というメディア上で展開されることにこそ大きな意味があると思っている。 最小の手法によって成立した最小の視覚メディアは、そのまま人間の表現の最小単位を定義する。 それはまさしく絵画によってのみ追求される構造美であり、複雑化したメディアをほぼ無限に供給できる現代にあってこそ、それらの構成による空間は特別な輝きを持つのではないだろうか。 陸上短距離走が人間の身体的限界を最も直接的に示す競技として、文明がどのように発展しようと特別な価値を有しているように、美術館に最適化された権威の象徴ではなく、人間が「表すこと」の限界に迫るメディアとしての絵画の可能性を示したい。 主にスプレーや綿布、廃材、既製品などを使って絵画制作を行っている。 これらの素材は、描く行為を支える物質であると同時に、絵画の構造を形づくる要素でもある。 画面に現れる人体は、個人を示す記号を欠いた匿名的な存在として描かれ、関心は「人物像の表現」ではなく、「身体という存在の在り方」そのものに向けられている。 近年の主な個展に『からだと構図』(アートかビーフンか白厨、2025年)、『空間のひげ』(TAKU SOMETANI GALLERY、2025年)など。 現在は福岡県在住。 日本絵画における粉本主義から着想を得た「シールみたいな絵」など、ドローイングを起点に絵画を制作している 。 近年の主な個展に「よしずとラティス」(gallery DEN5、2026)、「ありふれたもののシーン」(本屋青旗、2024)など。
館の公式サイトの紹介文を、そのまま載せています。 出典で読む ↗
終了
この展覧会の記事・批評をご存じでしたら、+ メディアを追加