
林銘君は1995年中国福建省に生まれ、2019年に中央民族大学美術学専攻を卒業。2023年に多摩美術大学大学院日本画専攻を修了し、現在は東京藝術大学博士課程日本画専攻に在学中。 林銘君は水墨画という伝統的な技法を用いながらも、画面に不思議な空間を立ち上げ、水墨表現の枠を超えた独自の現代的な世界観を画面に取り込んできました。 今回は新たな試みとしてチューリップを題材に今までとは異なった表現を試みています。 展覧会タイトルの「空空(kong kong)」は、作家自身が「有用/無用という価値判断から離れた存在へのまなざし」を込めた言葉だと語ります。すべてを包み込み、溶かしていくような「空」の感覚を通じて、物や人の在り方を問い直す試みです。 【アーティストステートメント】 当初、この展覧会のテーマは「縁の花園」にしようと思っていた。 その「花園」は、幼い頃に田舎で過ごした記憶から生まれている。あの頃、空いている土地はほとんど畑に変えられ、花が植えられるのは畑の端——区切りや飾りとして、ほんの少しだけだった。実用主義の視点から見ると、花にはあまり価値がないように思えた。食べられないし、収穫もできない。 たぶんその頃から、私はある判断の癖を身につけたのだと思う。何が役に立って、何が余分なのかを分けること。だから今でも、花屋で切り花を前にすると、いつも迷ってしまう。あと何日咲くだろう、買う価値があるだろうかと、つい計算してしまう。 その考え方は、花に限らず、あらゆるものに向かっていった。私は自分の作品にも、そして自分自身にも、同じように「測る」目を向けてしまう。いつからか、自分自身のことさえ、どこかで数えられ、並べられ、整理される存在として見ていたように思う。そしてある時ふと、自分の輪郭だけが残り、その中身がいつのまにか少しずつ揺らいでいたことに気づく。 ある時ふと、自分がただの輪郭だけになっていて、内側の何かがいつの間にか静かに崩れ始めていたことに気づく。「空空」という言葉は、そんな思いの中で名付けられた。それは“何もな い”ということではなく、崩れたあとに残された空間であり、機能や理屈から離れてもなお、かすかに息づいている何かのこと。私はそんな花を描いた。端に追いやられ、期待されず、すぐに枯れてしまう花たちを。 今回の展示で使っている木のパネルは、普段パネルを作るときに出た端材ばかりだ。形は不揃いで、基準にも満たない。もともとは「捨てられるはずの部分」だった。 でも、次第に気づき始めた。その端や余白の形そのものが、すでに何かを語っている。誰かのために存在しているわけでも、使われることを待っているわけでもない。
終了
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