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KOTARO NUKAGA(六本木)では、 202 6 年9 月26 日( 土 )から11 月8 日(日 ) まで、ロサンゼルスを拠点とするアーティスト、コア・ポアによる個展「 Points of Entry」 を開催します。本展では、絨毯の構造を器として複数の視覚的伝統を同一平面上に重ね合わせる〈Poly Painting〉シリーズの新作を発表します。ポアにとって、文様も、技法も、名前も、どこか一箇所に源泉をもつものではありません。絨毯に巻かれて運ばれ、海流と偏西風に乗り、翻訳を経て往還してきたイメージの経路と、そのつど入れ替わってきた出入口の位置そのものが、画面上に並置されます。 イングルウッドの工房は、いつも扉が開いている。頭上を、LAX へ向かう飛行機が低く通り過ぎていく。エミレーツのエアバスが離陸するときは、見なくても分かる、とコア・ポアは言う。イランからイギリスへ渡った父はエクセターで絨毯を商っていた。絨絨毯はもともと、遊牧の生活のなかで織られた道具だった。巻いて運び、広げたところが床になる。移動する床であり、持ち運ばれる土地。頭上の飛行機と、足元の絨毯。工房は、その二つに挟まれている。 ポアが絨毯を絵の具で模倣し始めたのは2009年、ロサンゼルス・カウンティ美術館にてサファヴィー朝のアルダビール絨毯を見たときだった。絨毯の模倣から、やがてその絨毯のなかに、本来そこにいないはずのものが混ざり込むようになる。絨毯は主題ではなく、容器になった。2019年、東京での最初の個展では、縁の文様がペルシアの唐草から青海波に置き換わっていた。〈Poly Painting〉は、その続きにある。 作品の中央には野があり、幅の広い縁枠がそれを囲み、外を締める。まさにオリエント絨毯の構造である。といっても、ここには一本の糸もない。構造も文様も、すべて絵の具で描かれている。中心に主役はいない。どこから見始めてもよく、隅にあるものと真ん中にあるものが同じ大きさで並んでいる。だが縁枠を埋めるのは、青海波、麻の葉、雲文。「日本の文様」である。ただし、その模様も外から来た。青海波の波形は大陸を経由して日本に入ったとされ、祖形は西アジアの意匠にさかのぼるとも、各地で別々に生まれたともいわれる。どちらであれ、日本で始まったものではない。 旅をしてきたのは、柄だけではない。名前もそうだ。この構造の基礎となった絨毯は一般的に「ペルシア絨毯」と呼ばれるが、その名はイランで生まれたものではない。ヨーロッパから見たイランの呼び名である。「日本画」も同じで、西洋画が入ってきてはじめて必要になった言葉だ。名前には、テロワールではなく、それを遠くから見た者の存在がある。名前は、外から来る。 技法もまた往来する。18世紀の浮絵や秋田蘭画は、オランダ経由の銅版画から遠近法を取り込んだ。その遠近法の土台にある光学は、11世紀にイブン・アル=ハイサムがアラビア語で著し、ラテン語訳を経てヨーロッパに渡った学問である。エルヴィン・パノフスキーが「象徴形式」として見出した西洋の「線遠近法」の基礎理論は、地中海を経由して西洋世界へと運搬され。さらに一世紀後、今度は浮世絵がヨーロッパへ渡り、平面性として受容される。ゴッホが渓斎英泉の図をもとに花魁を描いたとき、彼が向き合っていたのは、すでに一度西洋を通過して戻ってきた形式でもあった。影響ではなく、環流である。どこかに源泉があるという考え方が、絶えず動き続ける歴史の途中で成り立たなくなる。 1854年、ペリー艦隊が黒潮に乗って横浜に来航したとき、米俵を担ぐ力士をアメリカ側の記録者が描き、ほぼ同じ頃、日本の絵師は黒船と異人を描いていた。互いが互いを見て、互いを描いていた。同じ出来事の絵が、二枚、逆の方向を向いて残っている。鎖国もこの構図の一部だ。閉じることもまた政策であり、出島という選択的な開口は、純粋な「うちがわ」がどこにもないことを示している。絵の中に描かれている力士の組み合いは、そうした交差の力学を想像させる。 17世紀より前の絨毯は、ほとんど現存しない。絨毯の歴史は、断片と、文献と、それを描いた主に西洋画から復元されたものである。現存する最古のオリエント絨毯は、アルタイ山脈のパジリクに位置するスキタイ人王子の墳墓から発掘したものである。この紀元前5世紀に作られた「パジリク絨毯」は、欠けた部分を残っている模様から推測して複製された。歴史も同じである。歴史を書くこととは、欠けた部分を推測でつなぐ作業にほかならない。「絨毯は幾千の結び目でできている。結び目を、ピクセルだと思ってほしい」とポアは言う。そのデジタルピクセルの側から、ポアは図像を探し、AIで壊れた画像を補う。まったく同じ構造がそこにある。ただし違いは、その継ぎ目を隠すか、残すかだけだ。画面のところどころで絵の具がそぎ落とされ、下の層が見えている。摩耗したのではない。そう見えるように削られている。時間が経ったという物語を、そうであると分かるように仕立てる。補っていることを隠さないこと。それがこの絵画の倫理であり、同時に様式でもある。 平原を走り、砂漠を歩き、海流に乗り、偏西風に逆らう。住吉津があり、出島があり、横浜があり、空港がある。旅路とその入り口が変わるたびに、誰が誰を見つけ、誰が誰に名前をつけるのかが入れ替わってきた。これらの絵は、そうした入り口のいくつかである。20世紀初頭にベルリン・イスラーム美術館の礎を築いたはイタリアの教会でオリエント絨毯と西洋絵画の調和を経験し、のちに東と西の融合として」と西洋美術を美術館展示において並置したが、ポアの描くものは東と西を融合させたものではない。東と西は、歴史的な往来のあとに引かれた線のようなものである。絵の前に立つとき、私たちもそのどちらかではいられない。すべてが同時に見える画面は、どこにも属さない場所からの眺めを約束するように見える。内側にいながら、外から名前を付けられる。これらの絵は、その位置に立つ。 田熊友加里(2017)「『ペルシア絨毯』にみるオリエント像の変容—ヴィルヘルム2世期ドイツにおける絨毯の商人・研究家・収集家の三者関係を中心に」 田村うらら(2013)『トルコ絨毯が織りなす社会生活――グローバルに流通するモノをめぐる民族誌』世界思想社 佐藤勇一(2019)「いくつかの密かで非意味的な出会い」『立命館大学人文科学研究所紀要(118号)』 ジュード・スチュアート=著,細谷由依子=訳(2016)『模様と意味の本』フィルムアート社
館の公式サイトの紹介文を、そのまま載せています。 出典で読む ↗
開催中・11月8日まで
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会期・開館時間は変更される場合があります。最新情報は会場の公式・Instagramでご確認ください。 会場公式 ↗・Instagram ↗
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